聴覚の神経の病気がもとで 視力を徐々に失い

 

本日は、聴覚の神経の病気がもとで視力を徐々に失った方のお話をお届けいたします。

聴覚の神経の病気がもとで 視力を徐々に失い でも、カフェでバイト

ここは、ある下町にあるという架空のカフェ。オーナーののぶさんのいれるコーヒーの香りに誘われ、今日もすてきなゲストが訪れて、話が弾んでいるようだ。(ゲストとの対話を、上下2回に分けてお届けします)

【今月のゲスト】
奈良里紗(なら・りさ)さん
1987年、神奈川県鎌倉市生まれ。17歳で視神経萎縮(いしゅく)による弱視(ロービジョン)、23歳のときにオーディトリーニューロパシーと診断される。2010年に弱視仲間と一緒に「視覚障がい者ライフサポート機構“viwa”」を設立した。2019年5月に視覚と聴覚に障害を持つ女性として初めて筑波大学で障害科学分野の博士号を取得。現在は、視覚障害児とその家族の支援に奔走中。著書に『「ごめんね」から「ありがとう」へ~地域で学ぶ盲児の物語~』がある。
http://www.viwa.jp/

視覚障害と聴覚障害のある奈良里紗さん(上)

 「のぶさ~ん、こんにちは!」

 そろそろラストオーダーの時刻。カフェの扉が開くとともに、元気な透き通る声が店内に響いた。

 私は、驚きを隠せなかった。

 「いやぁ、里紗ちゃん!」

 この扉を開けて、奈良里紗さんが入ってくるのは約10年ぶりだろうか、懐かしい。

 私の目の前のカウンター席に慣れたように腰かけ、顔を店内に向けてグルッと回して、言う。

 「変わっていませんね~」

「見えなくても働きたい」

まるで、すべてが見えているかのような彼女の動作は、もし他のお客さんが見ていても、違和感はなかったことだろう。

 しかし、彼女はぼんやりと光の加減はわかっているものの、目を向けている正面を中心に、あまり見えていないはず。感覚で店内の様子を感じ取っているようだ。

 このカフェを開業したのは十数年前。当時大学生だった彼女は、このカフェでホールのアルバイトをしていた。見えていないのに、である。

 「目が見えないって言うと、どこも採用してくれなかったのに。のぶさんは、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく働かせてくれましたよね。その時の経験が、いまの自信にもつながっているんです」

 思い出話が尽きない。いまは、結婚し、小学生の子どもがいて、仕事も子育ても忙しいらしい。

難聴も発症 もともと聴覚の神経障害が

「実は、最近になって難聴も確定しちゃったんです」

 このカフェでアルバイトをしていた頃には、難聴があるとは私は聞いていなかった。

 「オーディトリーニューロパシー」。彼女は病名をそう言った。初耳だ。

 「実は、本来、聴覚障害の病気だったんですよ、私」

 ん? 聞こえづらいのか? ここで働いている間は問題なかったし、いまも普通に会話ができているのだが……?

 「生まれたときからこうなので、普通ではないことに気づかなかったんですけど。のぶさんの指示と、ジャズのBGMと、お客さんたちの会話が、同じ音量で聞こえているんですよ」

「心因性の視覚障害」と言われ続け

私たちは無意識のうちに、関係のない音は雑音として処理し、聞きたい音だけに注意を向けられるらしいが、彼女はそういうことがないのだという。

 「そもそも、そういう難聴の病気があって、その症状が派生して、目の神経にも影響し、徐々に見えなくなってくるんです。目の方は小学生のころから見えづらくなってきたから、その変化で病気だってわかったけど、耳の方は正常な状態を知らないから……」

 正しい診断がつくまで、心因性の視覚障害と言われた時期も長かったという。経過観察だと言われて月日ばかりがたつ中で、見えづらさは徐々に進行していった。将来、この病気がどうなるかわからなかったのが、何よりつらかったという。なので、病気が確定した際には、かえってホッとしたそうだ。

 しかし、そうは言っても、国内ではほとんど症例がない病気。しかも、治ることは見込めないのだが、彼女は前向きに物事を捉えて、明るく話す。

依存先を増やすことで円滑な生活を目指す

私が店の片づけで少し厨房(ちゅうぼう)に入った間に、彼女はかばんからスマートフォンを取り出し、イヤホンをつけて何かを聴き出した。文字は表示されていても読めないので、読み上げソフトを使っているらしい。

 「へぇ、そうやって文字を読むの?」

 「そうなんですよ。いろんな支援してくれるソフトやグッズがあって、助かっているんです」

 そういうモノの助けだけではなく、ヘルパーの制度など人による支援なども色々とあるようだ。

 彼女は、依存先を増やす、つまり、誰かに頼れるようになることが大切だという。わからなければ知らない人に声をかけて聞けばいい、子どものころからそうしつけられたという。

 「親が、私の行動を制限するのではなく、逆になんでもやらせる育児をしてくれたのが、当時はつらかったけど、いまとなって考えればありがたかったですねぇ」

 そう言う彼女は、いまや親になっている。

 「そう考えると、親になった私は、子どもをあまやかしちゃってますね」

 私は思わず笑ってしまった。

 すっかり日が落ち、そろそろ閉店の時刻になる。店内には私たち以外にお客はいない。2人の笑い声が響いている。

 

引用:聴覚の神経の病気がもとで 視力を徐々に失い でも、カフェでバイト

yomiDr.

 

聴覚や視力を失うことは非常につらいことだと思います。しかしながら、前向きに生きる気持ちさえあれば、明るい人生にすることができるのだと、こちらの記事から元気をいただきました。